【エッセイ】死ぬまで生きるだけのつもりだった、私の目標

日記

大学の友人と飲んだ。年末ぶりである。構造主義の話を聞いた。「全てあなたのせいってわけではないんじゃないかな。」と言われた。

なんだかすごく納得して、私のせいだけじゃないんだ。と思った。私が考え続ける理由は少しでも楽に日々を過ごすためであり、社会に馴染むためだ。

投げ出して、落ち込む

続けてもなかなか成果は出ず、しかし緩やかに生きやすくはなっている感覚がある。行きやすく、そして平たい量産された人間に近づいていく。

それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、私は普通になることを目指してここまでやってきたのだ。

そう言った意味で、環境が悪いからといって決まったアルバイトを半年で投げ出してしまったことに落ち込んでいた。また私は普通になれなかった。と。

普通とはなんだろう?

この場合、普通とはなんなのかが議題に上がる。私の場合、週5回のフルタイム勤務を一生続けることである。

生きるということは、継続である。そのせいで、とりあえずここまで行ったから完全に休止して良いということが無い。

続いていく中で、続けたまま休むことが大切になっていく。私にそれができるのかと言えば、現時点では厳しいのが見立てである。

そのため、「普通」になるべく努力しているのだ。最近限度を感じている。私がアルバイトを辞めるのは、人間関係で無理をしすぎなのだと思う。しかし、自分の無能さからミスをしてしまうことが耐えられず、罪悪感で潰れてしまう。

休日すら休めない

ワンオペの業務があったのだが、当日中に誰にも相談できず、休日であるはずの翌日になってミスについて連絡が来るなど働いている時も働いていない時も、気持ちが休まることがなかった。

自分が信用出来なくなり、周りに迷惑をかけるどうしようもないやつとして、落ち込み、バイト先に行けなくなったので逃げるように辞めた。

自分には体力がないのだと思っていたが、8時間半の立ちっぱなしには耐えられていたわけだし、朝も起きられるので、違うところに要因があると考えた。

社員さんからの執拗な雑談

私の中でいちばん辛かったことである。接客業だったのだが、暇な時間も多くある。そもそもレジ前に立つことが仕事のようなバイトだったので、逆にやることがない時間がかなり多かった。

その時間に発生する雑談に耐えられなかったのだ。社員さんは、機嫌の良し悪しで怒鳴り、仕事がない時間にスマホをいじり、おまけに話がありえないくらいつまらなかった。

話しかけないでくれるならば、働き続けられたと思う。しかし、嫌いで距離を置こうとしているこちらを気にせず趣味の話推しの話自慢話を繰り返し、仕事中にメルカリを見てはグッズを購入していた。

その様子でありつつ、私がミスれば怒鳴り散らし、怒鳴ったかと思えば、「ほんと、嫌になる」と言い、推しの話を始める。私に対してだ。怖すぎる。意味がわからない。整えられない機嫌を他人に丸投げするなよ。子供すぎる。と思った。

生き物として、何も考えていないのだろうなと感じ、心底見下しつつ、そんな奴に怒られる自分はなんてダメなのだろうと毎日落ち込んでいた。

結局、恐怖で震える

どうしたら怒られても効かないようになるかなど考えた。しかし、思いつかなかった。別のことを考えても、バイト以外の時間でも、いつ連絡が来るか電話がなるかビクビクして休まらなかった。

この世で最も楽なアルバイトの職種だったと思う。しかし長時間労働を強いられ人手不足であったため、上手く辞められなかった。半年の出来事だった。

辞めてスッキリするとは思わなかったし、実際しなかった。ごくごく簡単なアルバイト1つ続けられない自分に心底落ち込み、また自分を嫌いになった。自己管理が出来ない自分に幻滅し、もう働くことはできないと落ち込んだ。

私は1年大学を休学していて、来年度には3年生になる。3年生から新しくアルバイトを始めるべきか、最低賃金のイベントのアルバイトで食いつなぐかをすごく悩んでいる。また、今回みたいにアルバイトをすぐ辞めることになったらどうしよう。

なんで落ち込んでるの?

そんな話を、友達にした時に構造主義の話をされたのだ。個々の現象の裏で、ルールとして、誰かが働けなくなると決まっているとしたら。自分を責める範囲が減る。と思った。し、「そんなバイト先をやめたことをなんで落ち込んでるの?」と言われて、そうだよな。と思った。

自分がなぜここまで落ち込んでしまうのか、分からなかった。今も把握できていない。しかし、考えすぎる同じような友人から寄り添った言葉を何気なくプレゼントされ、ああ、友達でよかった。と思った。

恋人と過ごす時間も、同時に苦しくあった。彼氏は一人暮らしであるため、泊まりに誘われることが多くあった。しかしながら私は体力が無く(実際は体力ではないが)ゲージのようなものがすり減るのを感じるので数多くは泊まりに行けないことを、何度伝えてもわかって貰えない。

毎回丸め込まれて泊まりに行き、自分の気持ちが分からないと苦しくなっていた。しかし、友達から構造主義の話を聞き、どちらかが丸め込まれるという構造(ルール)なのだとすれば、今の私の状況も納得できると感じた。

同時に、次に自分がすべきことも見えてきた。今まで手探りで闇の中を掴んだり離したりしていたが、今回は手応えがあった。その手応えを表現するのは難しい。

ただ、今まで思えなかった、「自分は悪くない」という感覚に近づいていると感じる。実際に思う言葉としてこれが適切ではないのだけれど。

「私ばかりが悪い訳では無い」と思えるような

自分の意思がない私が悪いと思っていたが、私に意志を失わせる構造が存在するということだ。第3のルールに気がついたような感覚。無かった視点。

ゲームをする時間も同じで、こんななんの為にもならないことをなぜしているのだろう。と感じていた。心が休まらない。楽しくない。

希望、マリオカート

昨日、楽しい時間が近頃無さすぎる。ということに気がついた。何かを面白がる時間が足りない。と。そんなものはいらないと思っていた。普通になるには、何かを楽しむエネルギーすらも仕事ややるべき事、課題、通学に使うべきだと考えていたからだ。

しかし、結果は異なっているのかもしれない。ただ、生きているだけの状態になっていた。だから、面白みがなかった。昨日2時間マリオカートをして思った。

今は楽しもう!と思える時間が人に必要である理由を理解した。生き甲斐になるからだ。それ以外の少なめの辛さは耐えられるようになる。

フラットでいられるか?いられないかも。

辛さがないフラットな状態で日常を続けられる事を期待していた。恋人がそのようだからだ。しかし、それは、私にとって難しいらしい。

幸せなことに気がつける分、辛いことも心底辛いが、それならばフラットにしようと楽しいことを楽しいと思う時間を削るのは間違っていると言えないだろうか。

また、夜寝る前に未来について考えて落ち込む。と友達に言われた。私にはわからなかった。自分が落ち込む時間は、昼夜を問わなかったから。

ただ、考えた。私が落ち込むのは朝かもしれないと思った。これからまた一日が始まることに落ち込む。気持ちのいい朝など存在しない。明るくなったことに絶望している。と。

彼氏の家に泊まった時も、ここから、今から大学なのか。バイトなのか。と。一日を背負っていた。つまり、朝落ち込みやすいのだ。今までそれに気が付かなかった。というか、夜落ち込みやすい人が夜に何を考えているのかという話を聞くこと自体初めてであったかもしれない。

友達の言葉に置き換えられることで、様々な言葉が表す様々な事象について、体感で受け入れられるようになっていく。そんな感覚を人に覚えさせて欲しいと思っていたと気がついた。

死ぬまで生きることが目標であった時から、生き続けることが目標になり、楽しみを感じながら生きることが目標になった。

今の私は、楽しみと生きることを両立することを目指している。久々に文字を書くことが捗った。本当に気分がいい。これが楽しいということか。手元の希望を手繰り寄せ、またこれからが始まってゆく。

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